なぜ暴力は「一番の理解者」である母親に向かうのか?家庭内暴力に潜む「甘えと無力さ」の正体

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暴力は一番の理解者である母に向かう

統計でいえば、警察庁は毎年、もうひとつ統計を出しています。

それは、「少年の家庭内暴力が誰に向けられているか」という統計です。

平成17年度は、家庭内暴力が報告された1275件のうち、773件、つまり全体の約6割が、母親を対象とした暴力でした。
一方、父親に暴力をふるうのは111件で、全体の1割にも満たない。
家財道具などに向けられた暴力が188件ですから、それよりも少ない数字です。

こちらの統計も同じく19歳以下を対象にしたものですが、こちらの数字は私の実感とも概ね重なります。
私たちのところにいる若者のケースを見ても、その家庭内暴力のほとんどが、母親をターゲットにしたものだからです。

家庭内暴力の犠牲者になるのは、毎回、圧倒的に母親です。

なぜ、母親がターゲットになるのか。

原因は、大きく分けて三つあると思います。

ひとつは、物理的に母親のほうが、子供と向き合う時間が長いからです。
外で働く父親に比べて家事を取り仕切る母親は、家にいる時間が父親に比べて長い。
そのため、ひきこもった子供と接する時間も当然長くなります。

子供の中で「マグマ」が溜まってある日突然何かのきっかけで爆発する―そうやって暴力に走る時(暴力に至る仕組みは後ほど詳述します)、目の前には母親しかいない。
それで母親に矛先が向かうのです。

二つ目の理由は、「母親への依存と甘え」が子供の側にあるからです。

子供にとって自分を産み、育ててくれた母親というのは、いつまでたっても「依存と甘え」の対象です。
父親に比べ、精神的なつながりが濃くて、強い(とくに息子にとっては、父親というのはどこか「他人」というところがあるものです)。

そんな「依存と甘え」から、母親への「執着」も生まれます。

べったりと寄り添うあまり、母親から離れられなくなるのです。
母親が逃げ出しても、執拗に追いかけては探し出し、暴力をふるう若者も少なくありません。

だけど根底では、子供は母親想いです。母親を愛している。

「お母さんに申し訳ない」

ひきこもっている若者というのは、多くの場合、そう思っています。
愛する母親の期待を裏切っているということで、自責の念を強く持っています。
「お母さんは家族の中で一番優しくて最大の理解者なのに・・・・・お母さんに申し訳ない」というわけです。

だけど、そうは思うけれど、どうすることもできない。
現状を変えることも、自分から一歩も踏み出すこともできない。

それで今度は、こう思うようになるのです。

「そもそも、母親が期待したから悪いんだ」

「母親のせいで、こうなってしまったんだ」

自分では解決できないことを、すべて母親のせいにしてしまうのです。
ここにも母親にたいする「依存と甘え」が含まれています。
母親になら八つ当たりをしてもいい。
自分の気持ちをわかってくれるはず――そんな思いを心のどこかに抱いている。

そしてそれが、暴力を母親に向かわせてしまうのです。

母親は自分の無力さに対する自覚がない

しかし、この二つだけが原因ではありません。
もうひとつ、「母親の無力さと愛情の深さ」が、暴力を母親に向かわせる最大の原因だと私は考えています。

「愛情の不足」ではなく(ほとんどの母親は「自分の愛情が足りなかったから、暴力をふるう子になってしまった」と思っていますが)、その逆で「愛情の深さ故のもつれ」こそが、母親に暴力を向かわせてしまうのです。

たしかに、小さい頃から子供をいつでも傍で支え、助けてきたのは母親です。
母は子供のいつも一番の理解者でしたし、泣けば子供を抱きしめてあげたり、なんでも相談にのってアドバイスをしていたのも、ほとんどの場合、母親でしょう。
そんな母親の愛情は、たしかに幼少期においては、子供の成長にとって必要不可欠なものです。

しかし、そんな万能だった母親も、子供が大人の年齢に近づくにつれて、徐々に無力な存在になっていきます。

きつい言い方になるかもしれませんが、いまの母親の中で、いったいどれほどの方が、子供が進路で迷った時に、さまざまな経験と知恵に裏打ちされた的確なアドバイスができるでしょうか。
子供がニートやひきこもりになった時、さまざまな経験と知恵に裏打ちされた的確なアドバイスができるでしょうか。
子供がニートやひきこもりになった時に、子供の未来が開けるような現実的かつ有益なアドバイスをできる人が、どれほどいらっしゃるでしょうか。

いまの母親には、残念ながら、社会体験や人生経験を通して培った社会性を持っている方がとても少ない。だから、子供が行き詰った時にも、

「大学くらい卒業してないと、苦労するわよ」

「バイトじゃなくて、正社員で働きなさいよ」

くらいの、月並みのことしか言えないのです。

子供は、そんな母親に深く失望します。
かつて万能だった母親は、じつは社会性に乏しく、もはや自分の未来を打開してくれる力が何もないことに気がつくのです。

もちろん社会力、問題解決能力に乏しいのは、父親だって同じです。
父親だからといって、経験や知恵がさほど多いわけではない。人生経験や社会経験の数なんて、似たりよったりでしょう。

ただ母親と違うのは、父親にはそれに対する自覚があることです。
「子供にどうアドバイスしていいかわからない」という意識が、心のどこかにある。
社会性の乏しさをどこかで自覚しているため、子供に執拗に関わろうとはしないのです。

だけど、母親にはその自覚がありません。
相変わらず、子供が小さい時と同じように、「自分が助けなければ」という態度で子供と接してしまうのです。
もはや子供を助ける能力がないにもかかわらず、あれこれ子供に執拗に関わろうとするのです。

それに子供は苛立ちを覚えます。
あれこれ月並みな、小言としか思えないようなことばかりを繰り返す母親に対して、イライラしてくるのです。

「うるさい!そんなことはわかっている!」

「お前の声は、うざいんだよ!」

こうして暴力は、子供にとって最愛の母親へと向けられてしまうのです。

本書の冒頭で紹介した、母親をバリカンで丸刈りにした直樹君の場合も、最初から暴力の矛先は、家族の中で一番の理解者だった母親に向かいました。

どちらかといえば厳しい中学校教師の父親に比べ、養護学校に勤めるお母さんはいつも優しく彼の話に耳を傾けてきました。
直樹君もまた、母親想いの優しい子だったようです。
18歳で部屋にひきこもるようになってからも、母親はいつも、彼のたったひとりの話し相手でした。

しかし暴力は、そんな母親の頭を攻撃することから始まったのです。


「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」二神能基著 2007年1月26日刊行 より

このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。

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執筆者 : 二神 能基(ふたがみ のうき)

二神能基

認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。

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