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ニートを生んでしまう家 ~親の真面目さが子どもをニートにする

希望のニート

真面目な親が子どもを追いつめてしまう

年間約200組の親御さんの面談を、私が代表をつとめる「ニュースタート事務局」では行っています。
ニート(15歳から34歳までの無業者)や、不登校や引きこもりの子どもさんの対応に悩んでいる親御さんたちが対象です。

私のところに面談にいらっしゃる親御さんは、皆さん、私なんかより優秀かつ善良で、見るからに真面目そうな方が多い。
その真面目なご両親が真面目に子育てをされた子どもさんも、やはり真面目な子が多い。

にもかかわらず、真面目に学校や会社に通っていた子どもさんが、ある日突然それができなくなってしまう。
不登校から引きこもりになってしまったり、あるいは会社を辞めてニートになってしまったりする。

そんなケースが最近急増していると私は感じています。

その理由を、いままで私なりにずっと考えてきました。

もちろんいまも、これという明確な回答が見つかったわけではありません。
ただ、そんなご両親の真面目さこそが、無意識に子どもを追いつめてしまっているのではないか―――
近頃、私はそんな考えを持つようになりました。

これから、私が実際に体験した事例をもとに、そういう考えにいたった経緯、あるいは最近なにかと取沙汰されている「ニート」の若者たちについて私が思い感じたことを、書いていきたいと思います。

ただ、若者たちの未来に配慮する意味で、登場人物はすべて仮名扱いにしてあります。

現在27歳の利光君は、お父さんの家系が先祖代々医者で、彼の両親も開業医でした。
兄弟は、利光君と妹さんの二人。
彼は中学受験の末、中高一貫の私立校に入学しました。

学校側も有名大学合格者を一人でも多く出そうと、猛烈に勉強させたし、彼も医学部合格をめざして家庭教師とともに必死になって勉強していたようです。
ところが中学二年生のときに、彼は突然学校に行けなくなりました。

私はいまから10年ほど前、当時17歳の彼にはじめて会ったときのことを、いまでも鮮明に覚えています。

ちょうどその頃、いまのNPOの前身となる「イタリア・ニュースタート・プロジェクト」を運営していました。
そのプロジェクトは、不登校や引きこもりの若者を、イタリア・トスカーナ州の農園に数カ月間滞在させ、農作業と規則正しい生活を通して若者を元気にしようというものでした。

彼はそのプロジェクトの面談のとき、小さな風呂敷包みを大事そうに膝の上で抱えたまま、終始うつむきっ放し。
約二時間、一度も顔をあげて私を見ようとはしませんでした。

両親の期待に添えなかった罪悪感に、彼はまさに打ちひしがれ、心を閉ざしていました。
もう、初対面の私が見ても本当に痛々しかった。

その後、利光君はそのプロジェクトに参加して、見違えるほど元気になって日本に戻ってきました。

そのとき彼は18歳。
ご両親も彼の変化をとても喜んでいました。

彼が不登校になった頃から、ご両親ともに「本人に医学部進学を無理強いするのはよくない」ということは、頭では重々わかっていたそうです。

しかし、頭ではわかっていながらも、元気になった息子を見ると、ついつい「できれば学校に再入学して、医学部への道をあらためてめざしてほしい」という気持ちが頭をもたげてしまう。

一方、彼自身も、元気になって日本に戻ってはきたものの、明確にやりたいことが見つかったわけではない。
そこで、大学入学資格検定(大検)を受けて資格をとり、予備校に通いはじめたのです。

すると、今度は彼の「お弁当づくり」がお母さんの生きがいになりました。

ある朝。
台所でいそいそとお弁当づくりをしているお母さんに、利光君がポツリと、
「体調が悪いから今日は予備校を休む」
と言いました。

すると、そのとき母親がものすごく悲しそうな顔をしたらしいのです。
その表情を見た瞬間、彼の中で何かがぷつんと音を立てて切れてしまいました。

ぼくが一日予備校を休むというだけで、お母さんはなぜ、それほど悲しそうな顔をするのか―――

言葉にこそしないものの、お母さんの悲しそうな表情の奥にある、親が捨て切れない息子への期待を、彼は瞬時に読み取ってしまったのです。

かつてドロップアウトしたのと同じような場所にしか、自分が戻るべきところはないのか。
その人生しか自分には許されないのか。

その日以来、彼は予備校に一日も行けなくなってしまいました。

この「お弁当事件」は、彼が20歳のときのことです。
もちろん、母親が子どもの将来を思う愛情や真面目な努力は、一概に否定されるべきものでありません。

そのときのお母さんの表情も、ふと切なく思ってしまっただけかもしれませんし、事実、無意識だったろうと私も思います。

しかし、利光君はその母親の表情にすべてを見た気持ちになり、追いつめられてしまったのです。

「やりたいこと」なんてない

もうひとつ、エピソードを紹介しましょう。

最近、子どもに対して
「自分が好きな仕事を探しなさい」
と、やたらに自主性を尊重する親御さんが増えています。

しかし、これも親御さんたちは無自覚ですが、子どもたちにとっては実に厄介であることが多いのです。

私のところに面談に来る親御さんの多くも、自らの人生を反省しつつ、子どもたちにはもっと自由に生きてほしいと真面目に考えています。

だから、子どもに対して
「好きな仕事を探しなさい」
「好きなことをやりなさい」
と理解を示したりします。

もちろん、それは間違いではありません。

しかし、若者たちの声を聞いてみると、「好きな仕事」や「やりたいこと」をすすめる親の言葉は、大半の子どもたちにはリアリティーをもって響いてはいません。

それは、なぜか。
答えは簡単です。

子どもたちに「好きな仕事」や「やりたいこと」がないからです。

でも、「好きな仕事」や「本当にやりたいこと」なんて、大人だってそう簡単に見つかるものではないはずです。
そもそも、そういうものを見つけられる人は、昔も今も少数派ではないでしょうか。

それに「好きな仕事」や「やりたいこと」をすすめる親自身が、そんな人生を送っていない。

親の言っていることとやっていることが違う―そんなことは、物心ついた子どもなら簡単に見抜いてしまいます。
だから、説得力がなく、子どもの心には響きません。

また、口では「好きな道」をと言っても、大半の親は具体的なモデルを子どもたちに示すことはできません。

大半の親が会社員ですから、好きな道を好きなように歩んで生きている知人や友人もいない。

つまり、
「自分が好きな仕事を探しなさい」
「やりたいことをやりなさい」
という言葉に象徴される、真面目に子どもの将来を想う親御さんの寛容さが、逆に子どもを宙ぶらりんにしてしまっているのです。

むしろ、それが若者たちにはプレッシャーやストレスになってしまい、
「親は理解があるのに好きな仕事が見つからない自分=ダメな自分」
という劣等感に結びついてしまう場合さえあるのです。

「子どもの自主性を尊重しなければ」
という親の真面目な愛情が、逆に子どもを追いつめてしまっているのです。

糊しろのない生真面目さ

ただ、この問題の根深さは、親子とも立場は違っても、結局は同じ論理でしか打開策を考えられない点になります。

親は「いい学校」から「いい会社」に入り、コツコツと真面目に働いてほしいと考えてしまう。

子どもがその路線から外れても、できればふたたび学校か会社でやり直してほしいと、心のどこかでは思ってしまう。

「いい学校、いい会社」への執着をなかなか捨てられない。
口では子どもに「自分の好きなように生きればいいよ」と言っていたとしてもです。

一方の子どもも、「いい学校、いい会社」というラインから現実にはみ出していることがわかっていながらも、頭の中では、親の望む路線に戻るしかないと考えている場合が多い。

より正確に言えば、それ以外の生き方を親も子どもも知らないし、わからないのです。

ニュースタート事務局にも、長い引きこもり生活の末、今年38歳になるのに、いまだに大学に戻って勉強し直したい、という考えを捨てきれない男性がいるくらいです。

そこには「できれば、親が望んでいる人生を歩んであげたい」という、子どもなりの親に対する申し訳ない気持ちも潜んでいるのです。

もちろん、親を想う子どもの優しさ自体は否定されるべきものではありません。
しかし実際にそうなると、やはり行きづまってしまうケースが多いのです。

真面目な親と真面目な子どもは、そうして悪循環に陥ってしまい、なかなか抜け出せないわけです。

誤解のないように繰り返しますが、親子どちらの真面目さも一概に否定されるものではありません。

ただ、問題なのが、その真面目さが車のハンドルで言えば「遊び」の部分がない、いわば「糊しろのない生真面目さ」だということです。

いろいろな選択肢を試しながら、自分なりの生き方を探すといった発想そのものがない。
いい意味での「明日は明日の風が吹くさ」といった「いい加減さ」もない。

あるのはひたすら「いい学校、いい会社」へという直線的で「糊しろのない生真面目さ」だけ。

そのために、いったん悪循環にはまってしまうと、親子ともども、かぎりなく息苦しくなってしまうのです。
子どもがニートや引きこもりになると、たいていの親が世間体を気にしてそれを隠そうとします。
その結果、家族全部で社会から引きこもってしまうのです。

残念ながら、それが陰惨な事件に発展するケースも多い。

そんな「糊しろのない生真面目さ」に、私は日本特有の危うさを感じてしまいます。

だから講演会の最後に、私は子どもの事でお悩みのご両親に、いつもこうのようにお話ししています。

「今日はこのままご自宅に戻られて、親子で今後の対策を話し合うなんてことは絶対にしないでください。

できればこのあとは、ご夫婦だけで久しぶりに小粋なレストランにでも行かれて、おいしいお酒と食事を満喫してください。

心地よく酔われたら、今度はカラオケでも行って、それぞれお好きな歌でも仲良く歌って、ストレスを一度解消してからご帰宅してください。

そして翌朝はすっきり目覚めて、おいしい朝食でも食べたあとに、ところで昨日聞いた二神というやつの話だけど・・・・・と少し考えてみてください。」

すると大半のご両親が、深くうなずかれます。

そして、
「では早速、レストランとカラオケに行ってきます」
とふたたび真面目な表情で言われる方々も多いのです。

いや、それはひとつの例で、必ずしもレストランとカラオケがセットでなくてもいいのですけど・・・・・、と私は一人、心の中でつぶやいてしまいます。

しかし、生真面目な親に育てられたからといって、ニートや引きこもりの若者たちが欠点ばかりかというと、けっしてそうではありません。

その頑なまでの生真面目さの裏側には、非常に純粋な面や、老人に対する優しさ、モノや金銭に置き換えられない何かを強く求める気持ちがあったりします。

また、雇用不安が増大する一方、以前とくらべて、新卒学生といえども、簡単には企業の正社員になりにくい社会になりつつあります。

それは裏を返せば、高校や大学を出ても、フリーターかニートになるしかない状況でもあるのです。

仮に就職できたとしても、劣悪な職場環境に耐え切れずに退職をする若者も増えています。

いまや多くの親御さんにとって、ニートは他人事ではないのです。

そこでまず、実際に私がニートの若者たちと接して感じてきた彼らの素顔、あるいは誰でもニートになりやすい社会システムの変化などから、私がニートについて思うことを書きはじめてみたいと思います。

>>次回

「希望のニート」二神能基著 2005年6月2日刊行 より

このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「希望のニート」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。

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執筆者 : 二神 能基(ふたがみ のうき)

二神能基

認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。

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