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ニート・引きこもりに必要な、「緩やかな人間関係」

ニートには自分が拠って立つ人間関係が必要

しかし一方で、仕事や生き方に希望がなくても、ニートや引きこもりにならない人たちもいます。

では、そういう人たちとニートの違いは何なのでしょうか。

それを分けるのは、自分が拠って立つ人間関係があるかないか――そこにあるのではないかと私は考えています。

職場や教室での形式的な人間関係ではなく、しっかりと心を通わせる家族や友人、恋人といった人たちの存在が自分の近くにあるかどうか、です。

たとえば、ニュースタートを卒業して社会で働きはじめた若者たちには、もし失敗しても最後はここで築いた人間関係がある――そういう自信が、大きな拠り所になっているようなのです。

第1章でも紹介した、ホテルに勤めたけれども、ここは儲け優先主義だと辞めてしまった康成君(30歳)などはその典型です。

「ニュースタートには、自分と同じような引きこもり経験を抱える人たちがいて、自分だけが特別じゃないとわかって、まず精神的にすごく楽になれました。

また、そういう仲間といろんなプロジェクトを話し合いながら進めていけたことも、貴重な体験でした。」

彼は私にそう言ってくれました。

これは私の想像ですが、彼は卒業してからも、どうも意識の半分はいまもニュースタートにあって、そこに片足を置きながら社会を見ているという感じがあります。

そのような感覚は、あるいは「複数の自分」とでも言ったほうがいいかもしれません。

職場以外の人間関係、または教室以外の自分を持っていれば、仮にいきづまってもなんとか切り抜けられます。

それは長年通っている近所の空手教室での気心の知れた仲間との関係でもいいし、大好きな読書の時間でもいい。

そういう「複数の自分」があれば、もし会社や学校を辞めることになっても、新たな場所でがんばれます。

反対に、会社やあの教室にしか自分の居場所がないと考えると、そこで行きづまったらもうおしまいです。

残念なことですが、会社にリストラされて自殺してしまう会社員は、その「複数の自分」を持つことができなかったと言えるかもしれません。

しかも、最近の企業は終身雇用制の時代と様変わりして、雇用風土がどんどんドライになってきています。

人件費の節約のために、正社員を減らして契約社員や派遣社員を増やしている。

極端なところは、もう給料額や業績だけで会社と社員が結びついていたりします。

雇用関係がどんどん抽象化してきているわけです。

そうなってくると、ニートに限らず、誰もが自分の拠って立つ人間関係や「複数の自分」をしっかり持っていないとやり過ごしていけないのです。

私は年賀状を毎年700枚ぐらい出していますが、これは「緩やかで薄い人間関係」です。

年賀状のやり取りしかない人が大勢います。

六〇年以上生きているわけですから、それぐらいの「緩やかで薄い人間関係」ができているわけです。

そんな「緩やかで薄い人間関係」を、やはりニートの若者に求めるのは、気持ちはわかりますが無理があるのでは、というのがニートの若者たちと日々接している私の正直な感想です。

なぜなら、私のところにいるニートの若者には、一人平均で3通くらいしか年賀状がこないからです。

そんな状態で「緩やかで薄いつながり」も何もありません。

むしろ、これからの時代をやり過ごしていくためには、反対に「気心の知れた濃い人間関係」を三本程度持たないと、ふたたびニートや引きこもりになってしまうのではないでしょうか。

その「気ごころの知れた濃い人間関係」――それが、冒頭で書いた「自分が拠って立つ人間関係」のことなのです。

「希望のニート」二神能基著 2005年6月2日刊行 より

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