家庭内暴力、児童相談所に助けを求めたが……

前回>>

包丁を手にとった息子

暴力がひどくなるにつれ、お母さんは隆英くんを、心の底から恐れるようになりました。
そしてほどなく、こう思うようになったのです―このままでは殺される。

8月のある夜中。

お母さんが自室で寝ていると、ふと部屋のドアの開く気配がしました。

なんだろう、と目を覚ますと、隣の部屋で寝ているはずの隆英君がすぐ傍に立っています。
目の前には、彼がつきつけた包丁がある。

その距離、わずか数センチ。お母さんは、思わず息をのみました。

「お前が産んだのだろう!」

「殺すぞ!殺すぞ!」

彼は包丁を構えなおすと、そう怒鳴りました。

驚きのあまり動けずにいたお母さんも、その怒鳴り声で正気に戻ると、慌てて部屋の隅に逃げ出しました。

すると彼は、包丁を両手で持ったまま、母親にゆっくり詰め寄ってきます。

そこから先のことは、いまではあまり覚えていないようです。
ショックと恐怖心のあまり、記憶があいまいになっているのでしょう。
息子が目の前で包丁を振り回している姿だけが、いまでも鮮明に目に焼きついているといいます。

その日母親は、息子の包丁から逃げるように、着の身着のまま家を出ました。
ほかに行くあてもなく、彼女は自分の実家に逃げ帰りました。

これ以上息子といたら、本当に殺される―そう思ったあげくの行動だったのです。

次の日。

彼女は児童相談所に助けを求めにいきました。
暴力をふるう息子を家に残してきたから、様子を見にいってください、と頼んだのです。

しかし、児童相談所の職員が行っても、隆英君はドアを開けず中に入れようとしません。
もちろん、インターフォンにも出ない。ドア越しにも話そうともしない。
それで、職員の方は諦めてしまい、家をあとにしたようです。
お母さんの話を聞いた相談員の方も、抽象的に親の心構えを説明するばかりで、具体的な対策は何ひとつとってくれませんでした。

困ったのは、母親です。
もう誰も何もしてくれない。

そこで、少しほとぼりが冷めるまで、そのまま実家に残って生活をすることにしました。
当分の間、隆英くんが生活に困らないだけのお金は、部屋にきちんと置いてきたからです。

「もう、あの部屋には戻りたくはなかったのです」

それが、当時のお母さんの偽らざる心境だったのです。

母親を連れ戻す、息子のいやがらせ

しかし、それも長くは続きませんでした。

母親が出ていってから2カ月に、隆英君が洗濯機の水を出しっぱなしにして、マンションの下の階の部屋を水浸しにする、という事件が起こったからです。
それで部屋に戻らざるを得なくなった。

もちろんそれは、親を呼び戻すための、隆英君のいやがらせです。

母親は多額の修理代を支払ったうえに、今回の事件で隆英君の暴力のことも近所に知られてしまいました。

「夜中の騒音はたまらない」

「困った親子だ。一緒に住むのは迷惑だ」

近所の人たちはそれ以降、明らかにそんな目で二人を見るようになりました。
お金もなくなったし、まわりの目も気になるので、隆英君親子は、マンションを引っ越さざるを得なくなったのです。

そしてふたたび、息子との同居生活が始まりました。

家も変わり、気分も変わり、静かな母と子の日々が始まる、はずでした。

隆英君も3週間は、おとなしくしていたそうです。
自分のせいでここに越してくることになったのは、彼自身が一番よくわかっている。
母親に対する負い目も、少しはあったのでしょう。

しかし家が変わったとしても、本人の不登校の状況も、本質的な親子関係も、もちろん変わっていません。
だから、母親と二人きりで暮らしはじめれば、遅かれ早かれ、また以前と同じようになってきてしまう。

案の定、隆英君の暴力はまた始まりました。

同じ家に住んでいても、親子の会話はほとんどありません。
隆英君が仕事に出る母親のつくった料理に手をつけないので、食事も別々でした。
昼食は母親の置いていった500円で食べ物を買い、夜は母親の買ってきたお弁当やカップラーメンを自室で食べる生活。

毎日がほぼ、すれ違いの生活でした。

それを解消しようとたまに話かけても、息子は包丁を持ち出して脅すばかり。

母親にとって、恐怖の日々がつづきました。


「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」二神能基著 2007年1月26日刊行 より

このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。

すぐに全編をお読みになりたい方はこちらから

書籍のご案内

書籍の圧倒的な情報量には、コラムでは太刀打ちできません。
ニュースタート関連書籍は、現在19冊あります。1冊1冊の内容紹介と購入方法をご覧いただけます。