ひきこもり・不登校に足りない「大人との出会い」

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懐が深かった大人の思い出

ここで、ふたたび話がそれますが、私が出会った素敵な大人について書きたいと思います。
それは最近の大人たちについて、このあと言及するうえで必要だからです。

前にも書きましたが、私は愛媛県松山市にある中高一貫教育の名門私立学校、愛光学園を退学しています。
しかし、その退学騒動のおかげで、とても含蓄があり懐の深い二人の大人に出会うことができました。
彼らとの出会いは、私の人生においてとても貴重な財産だと思っています。

その一人が、私を退学処分にした愛光学園の初代校長、田中忠夫先生です。

田中先生は退学に際して、私を校長室に呼びつけて、散々私のことを罵りました。
そして最後は、「もう決まったことだからさわやかに行こう」と言って、私に握手を求めながら退学を言い渡したのです。

その後、私は地元の公立高校から早稲田大学に入学して、松山市で学習塾を始めたのはすでに書いたとおりです。
すると、その私立学校を退学した生徒が、田中先生に言われたからと、次々に私の塾に相談に来るようになりました。
私としては、まるでわけがわかりません。
それでも私なりに面倒をみていました。

その一〇年後ぐらいに、ある会合で田中先生と再会する機会がありました。
そこで、その真意を先生にたずねてみました。
「先生、ぼくをあれだけ罵って退学させておいて、同じように退学した学生をぼくのところに相談によこすのは、どういうことですか」と。

すると先生は、にやっと笑ってこう言われました。

「君、毒をもって毒を制するしかない場合もあるんですよ」

まるで映画のワンシーンみたいでした。
当時20代後半の若造にも、なんか懐の深いことをいわれたなぁという感慨だけは、胸にずしりと残りました。

もう一人の大人は、その私立高校を退学になった私に声をかけてくれた、地元公立高校の有吉菊一校長先生です。

とても面倒見のいい先生でした。
高校は出ているほうがいいから、何もしなくてもいいからうちの学校に来なさいと、高校を中退していた私を誘ってくれました。

しかし、地元一番のエリート高校を退学していた私は、その公立高校に編入してからも、反抗的な態度ばかりとっていました。
どこか捨て鉢な気持ちを持て余していたのだといまになって思います。

当時、その高校は、甲子園常連の松山商業高校で後に野球部監督になる人をスカウトしていて、部活動予算の大半を野球部に割いていました。
私はサッカー部と柔道部に友だちがいて、彼らは、その予算の野球部偏重に不満たらたらなわけです。

そこで私は彼らの仲間を動員して、学校内でストライキを敢行しました。

最初は教頭が出てきました。
そして、善良な田舎の高校生を扇動したという理由で、私一人が無期停学処分を言い渡されました。
そのとき有吉校長は出てきません。
その後、ほとぼりが冷めて復学してからも、私はこれでもかと似たようなことを繰り返すわけです。

そうしたら、ついに校長室に呼び出されました。

私はいよいよ退学処分が来たなと思い、事前にいろいろな問答のパターンを想定して、校長への反論を準備しました。
かなり入念に理論武装をして校長室に乗り込んでいくと、なぜか有吉校長は作業着姿でいるわけです。

「二神君、木を植えるからちょっと手伝ってくれ」

そう作業着姿の校長が声をかけてきました。

戸惑いながらも、校庭の隅まで校長について行くと、有吉校長は黙って穴を掘りだした。
二神君、君はここを掘りなさいと言うから、仕方なく私もけげんな顔をしながら、スコップで穴を掘りました。

作業がひと段落したところで、有吉校長がポツリと言うわけです。

「二神君、ひとつだけ言葉を教えておこう。
『木を植うるは徳を植うるなり』ですよ」

予想外の展開にすっかり気勢をそがれた私は、そんな意味不明なことまで言われて、そのまま家にすごすごと帰ってしまいました。
家に戻ると、二週間の停学処分の事務的な連絡と、有吉先生から一冊の本がすでに届いていました。

その本の題名はすっかり忘れましたが、「木を植うるは徳を植うるなり」という言葉が、それ以降、ずっと私の胸に残ることになりました。
あいかわらず意味はわからない。
だけど、その言葉に対して、私は心に引っかかる何かをずっと感じていました。
機会がある度に、いろんな人にその意味をたずねたりしていました。

その一件から三〇年ほどすぎた頃のことです。

松山市のあるお坊さんがその言葉を見つけたと言って、私にわざわざ手紙をくれました。
出典は忘れましたが、それは有吉校長が勝手に省略した言葉でした。

「木を植うるは一〇年の計なり。
徳を植うるは一〇〇年の計なり」

本当はそのような言葉のようです。
それでようやく私なりに合点がいきました。

要するに、学校運営の中では、予算配分の不公平みたいなことがしばしば起こりうるということです。
その一点をことさら騒ぎ立てて、いったい何が始まるのかと。
二神、おまえの人生はこれから長いんだから、自分の人生にとってもっと大事なことは何なのかを考えろ、と。

そういうニュアンスを、有吉先生はあの言葉を通して、私に伝えたかったのかなと私は理解したのです。
それでようやく、あの言葉が三〇年以上ぶりで胸にすとんと落ちました。

もちろん、それが正解かどうかはわかりません。しかし私なりにそう受け止めたのです。

「希望のニート」二神能基著 2005年6月2日刊行 より

このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「希望のニート」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。

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執筆者 : 二神 能基(ふたがみ のうき)

二神能基

認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。

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