どうニート・ひきこもりと向き合うか、寮の効果

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親と子を引き離すのが出発点

職場を辞めたニートも、収入減を失って貯金も底をつけば、実家に依存せざるをえません。
そうなると、ニートと引きこもりの境界線はとても曖昧なものになります。

そんな若者たちに対して、自宅を出て、ニュースタートの寮で共同生活をさせるという原則に、私がこだわるのには理由があります。
それは実家にいたのでは、子どもの親への依存心がなかなか消えないからです。

また、学校や社会からドロップアウトした子どもを心配するあまり、親も子離れする機会を失ってしまう。
そして親子の息苦しく、出口が見えない相互依存関係がいたずらに長期化してしまうからです。

親と子を物理的に引き離すことで、子どもははじめて自分になれる。
だからこそ、親と子を物理的に引き離すことが、ニート対策の出発点なのです。


25歳の和哉君は高校卒業後、メーカーに就職しました。

だけど職場の人間関係がうまくいかず、入社二年目で退社。それから五年間実家に引きこもりました。

本人も会社員生活が二年しか続けられなかったことに、かなりショックを受けたようです。
精神的にも混乱して、再就職もできないまま、引きこもりが長期化してしまいました。

途中、家にばかりいてもよくないというので、当時地方都市に単身赴任中だった父親のところで、父子二人で共同生活を始めたようです。
しかしそれも、一年間しか続きませんでした。

父親が息子に何を誘いかけてもダメ。
和哉君はずっと家にいて動こうとしなかった。
結果的にこの試みは、和哉君を徹底した父親嫌いにしただけでした。

そんなとき、お母さんが私のところに相談に見えられました。

そこで、ニュースタート事務局の訪問スタッフが父親の赴任先まで出かけていって和哉君と交流し、彼の同意のもとに入寮までこぎつけました。
しかしスタッフの話だと、母親への依存度が強いので、彼は入寮してもすぐに実家に帰るにちがいないというのです。

案の定、入寮後にひどい頭痛がすると言い出しました。
ある種のノイローゼ状態で、母親にも携帯電話で、頭痛がひどいから家に帰りたいと訴える。

それでご両親に相談すると、私たちはどんなことでもします、とおっしゃられたので、では息子さんと入れ替わりに、お母さんが家を出て、お父さんの赴任先でしばらく生活するようすすめました。
もちろん、それは彼には内緒です。
一人息子である彼が帰るべき家を封鎖して、絶対に戻れないようにしたのです。
電話も止めて、もし和哉君が家に電話しても通じないようにしました。

しばらくすると、和哉君が、お母さんがどこかへ引っ越したようだと、私たちに言いに来ました。
スタッフも慣れたもので、お母さんの行き先を知っていながら、素知らぬふうに適当な相槌を打っていました。
すると、和哉君も、

「うちの親ならやりかねない、まるで鬼みたいな両親だ!」

と言い出したのです。
きっと誰かに聞いてもらいたかったのだと思います。
その日一日、彼はひどく怒っていたそうです。

ところが、一週間も経つと、彼は親の話もしなくなりました。

もう親に泣きつけないと諦めがついたのでしょう。
それと前後して、ニュースタートに来てから訴えていた頭痛の症状も、自然に止まってしまったようです。

和哉君は自動車免許を持っていたので、寮生活に少し慣れてきた頃、デイ・サービスを利用するお年寄りの送迎をお願いしました。
すると運転がうまくて、スタッフが和哉君をほめると、だんだん本人も自信がついてきました。
親と連絡がとれないことなど忘れたかのように、それ以降、目に見えて明るく活発になってきました。

ニートや引きこもりの依存心や自立心は、実はこんな簡単に入れ替えられるのです。


若者が寮へ入ると、だいたい三カ月は本人の自由にさせておきます。
本人に何かやる気があれば、寮の仕事やニュースタートの仕事を手伝ってもらいますが、ニートにしても引きこもりにしても、仕事も勉強もしない生活が四年、五年と長期化して、親への依存度が強ければ強いほど、なかなか新しい集団生活にはなじめません。

そんな若者に、まずは集団生活のリズムを本人のペースでゆっくり慣れてもらうのです。

それでも入寮して三カ月もすれば、8割ぐらいの若者は新たな生活になじんできます。
同じ寮生の友だちもできて、入寮当初はまるで表情のなかった子どもたちが、少しずつ本来の表情を取り戻してくるのです。
半年、一年という時間の中で見ていると、彼らの多くは本当に見違えるほどの変化を見せてくれます。

周囲の人間と少しずつ会話を交わすようになると、それまで押し殺していた心が少しずつ動き出すのでしょう。
能面みたいな顔をしていた子が、少しずつ柔らかい表情に変わっていく。

心が動き出せば、服装も入寮時の黒やグレー基調のものから、少し明るい色の洒落たものに変わってきたりします。

ただ、残り2割の若者は、親への依存心が強すぎて、なかなか共同生活に慣れにくかったりします。
それこそ毎日二時間近く、携帯電話で母親と話をして、寮生活への不満を延々と訴えているといった場合もあります。

物理的に引き離しても、これでは家にいるのと何も変わりません。
寮を抜け出して、勝手に実家に戻ってしまう場合もあります。
24時間監視しているわけではないので、その気になればいくらでも逃げ出せるのです。

要するに、その2割ぐらいの若者は、親が入寮しろと言うからとりあえず来ているだけで、気持ちはまだまだ実家、もしくは親のところにあるのです。

そういう若者の場合は、この話の冒頭で紹介した和哉君のように、親御さんにも協力してもらい、家を一時的に出てもらったり、引っ越してもらったりして、子どもが家に帰れないようにします。
親への依存心を捨てさせることが、まずは何より大切だからです。


しかし、親が極端に子離れできない場合は、やはり寮生活はうまくいきません。

今度は26歳の隼人君の例を紹介します。

隼人君は小学校五年生から不登校でした。入寮したのは25歳のときです。

家では多少、家庭内暴力もふるっていたみたいです。
お父さんは公務員の幹部職で、お兄ちゃんは有名国立大学の大学院生。
とにかく優秀な一家です。

ここのご両親は極度の心配性で、彼が入寮後、二日に一回はお父さんが私たちの所に電話してきました。

「うちの隼人は食べるのが遅いから、食事はもっと一人でゆっくりとらせてほしい」

「うちの隼人は極度の人見知りだから個室で食事させてほしい」

ほかの寮に移るだけでも、いちいち電話してきて、

「生活に必要なものは私たちが準備します」

と言うわけです。
まるで子離れができない。

どうやら、隼人君が毎日自宅に電話して、寮での不満や体調の異変を、お母さんに事細かに訴えていたようです。
お母さんがそれを真に受けて心配してしまい、お父さんにせっついて、お母さんの代わりに電話してくるらしいことが、後日わかりました。

仕方がないから、隼人君が簡単に親に電話できないようにしようと、フィリピンのマニラにあるニュースタートの寮に彼を送り出しました。

マニラに行ったあとも、今度は隼人君が「自殺するかもしれない」とコレクトコールで国際電話をしてきたせいで、お母さんが不眠症になってしまわれた。
それでお父さんが、

「息子のことが心配で心配で、女房がもう死にそうなんです」

と、ふたたびニュースタートに電話してきました。

親がここまで子離れできないと、私たちとしてもお手上げです。
残念ながら、隼人君には退寮してもらう結果になってしまいました。


この話には後日談があります。

翌年にお父さんから年賀状が届きました。
一年ほどお世話になって、息子は見違えるような成長をとげました、とそこには書かれてある。
一人で外出ができるようになり、親戚のお店で近々アルバイトを始める予定です、と。
それでニュースタートの効果を周囲の人間に宣伝させていただいています、という内容でした。

一四年間ひきこもっていて、家庭内暴力までふるっていた子どもが家を出て、親のいない場所で他人との共同生活や仕事体験をして、おまけに短期間とはいえ海外旅行に行けた。
一人で外出ができるようになり、自分からアルバイトまですると言い出した。
これは親から見れば、ものすごい成長なのです。

しかし私は少しも喜べません。ニュースタートの寮に子どもを入れて、親子を物理的に引き離しても、親子がそれぞれ依存心を断ち切らないと、根本的には何も変わらないからです。

「希望のニート」二神能基著 2005年6月2日刊行 より

このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「希望のニート」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。

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執筆者 : 二神 能基(ふたがみ のうき)

二神能基

認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。

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