(本書の性格上、暴力をふるう若者の名前は仮名にしています)
「助けてください」
半年ほど前のことです。面談にいらした30代半ばのお母さんが、開口一番、切羽詰まった表情でそう言いました。
14歳の息子を持つ、母子家庭のお母さんです。
「どうしたんですか?」
少しあっけにとられながら、こちらが聞くと、
「もう殺人事件が起きます」
「私が殺されるか、私が息子を殺すかの、どちらかです」
と、そればかりを繰り返す。
一向に埒があかない。
話が聞けない。
「とにかく、子どもを早く連れていってください」
お母さんはそう言うと、何度も何度も頭を下げます。
「わかりました。いい方向に状況を変えられるよう、一緒に方法を考えましょう」
こちらがそう切り出すと、ようやくお母さんの興奮が落ち着きました。
取り乱していた時には気づきませんでしたが、知的ですっきりとした、なかなか美人のお母さんです。
「まずは状況を教えてください」
こちらがそのようにお願いすると、先ほどの態度が嘘のように、お母さんは感情を抑えながら冷静に話してくれました。
順序立てて、具体的に、息子の家庭内暴力の状況を最初から淡々と説明してくれたのです。
話に耳を傾けていると、まるで推理小説を読み聞かされているような気分になったほどです。
話をひと通り聞き終わると、私は手元のお茶を飲みながら、思わず心の中でこう呟いてしまいました。
「たしかに、これは私たちが介入しなければ、いずれ事件になるかもしれないな」
問題の息子さんは隆英君といって、中学3年生です。
隆英君は、中学2年生の頃までは、所属するサッカー部で真面目に練習に励む若者だったといいます。
それがある日、クラブの顧問がみんなを集めて、「お前たち、真面目に練習をやれ!」と頭ごなしに注意したことから、歯車が狂いはじめた。
ほかの仲間たちは、そんな叱責を受けても適当に聞き流し、「真面目にやります」と頭を下げて練習に戻る。
だけど彼には、それができませんでした。
一方的に理不尽に怒鳴る顧問や、それに反発しようともしない仲間に、我慢できなかったのです。
そのわだかまりは、彼の中で日増しに大きくなっていきました。
しばらくするとクラブにも出なくなり、ほどなく退部してしまいました。
それまで熱心にやっていた勉強も、その頃からさぼり気味になったといいます。
1年後には学校にも行かなくなり、昼夜逆転の生活が始まってしまいました。
「ねえ、このままでいいの?」
彼がひきこもり始めて、2カ月が経った頃。
毎日朝4時頃までテレビゲームに没頭しつづける息子に、お母さんは声をかけました。
中学3年生の夏、まわりのクラスメイトが高校受験に向かって走り出す中、ひとり取り残されそうになっている息子が、心配でならなかったのです。
「うるさい!殴るぞ!」
隆英君はそう怒鳴ると、突然、台所から包丁を持ち出し、母親につきつけました。
このままではよくないのは、自分が一番よくわかっている。
それで苦しんで学校に行けなくなっているのに、母親にそう言われて、追い打ちをかけられたように感じたのでしょう。
それで感情的になって、包丁を手にとってしまった。
学校に行っていない若者というのは、ほぼ例外なく、そのことで自分自身を責めています。
学校に行かないのは悪いことだ、部屋に引きこもっているのはよくないことだ―それは自分でも重々わかっている。
でも、体は動かない。
その葛藤の狭間で、ほとんどの若者が悩み、苦しんでいるのです。
隆英君も、家の中にひとりいて、苛立ちが募るばかりだったのでしょう。
でも、その苛立ちを解消する術も、現状を打開する力も、相談する相手もいない。
それをぶつける唯一の相手は、狭い家の中にいては母親しかいなかったのです。
それから、夜中にマンションの部屋の壁をがんがん殴って穴をあける、やめさせようと話しかける母親を殴り倒し、時には包丁で脅す、といった暴力が始まりました。
お母さんは仕事が終わって家に帰ろうと思うと、「今夜もまた、地獄のような時間が始まるかもしれない」という恐怖に駆られたといいます。
その頃には、わが家に帰るのが怖くなっていたのです。
「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」二神能基著 2007年1月26日刊行 より
このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。
認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。
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