こういう日々を重ねる中で、直樹君の暴力はどんどんエスカレートしていきました。
「親父に言うんじゃないぞ」
「絶対に声を出すなよ」
そう言われていた母親は、彼にどんなに殴られても、同じ家で寝起きする夫にまともに状況を話しませんでした。
父親も、息子の母親に対する暴力には、薄々は感づいていたといいます。
だけど、止めに入るとさらに暴力がひどくなると思い、見て見ぬふりをしていた。
在職中、父親の背広の胸ポケットには、いつも退職届があったといいます。
「これくらいしか、アンタを助ける方法はないから」
もしお母さんの命に危険が及びそうになった時には、直樹君と刺し違える覚悟でした。
父親はお母さんに、そうやってその覚悟を打ち明けていたのです。
「大の大人である自分と息子が本気で対決すれば、殺すか、殺されるしかない」
父親は、本気でそう思っていました。
だから、ぎりぎりまで本気の対決を避けたまま、息子の言うなりになっていたのです。
やがて直樹君が27歳になった時、父親は定年を迎えました。
すると、日中家にいるようになった父親にも、直樹君の暴力は容赦なく向けられるようになったのです。
父親はこの時はじめて、母親が受けていた募力の凄まじさを身をもって知りました。
「声を出すな」
近所に知られないように気遣いながら、直樹君は父親のわき腹を殴ったり、背中を蹴り上げたり、激しい暴力をふるいました。
また、父親の大切にしていた先祖伝来の神棚を叩き壊し、電子レンジや冷蔵庫、洗濯機、炊飯器など、あらゆる電化製品を投げつけ、倒し、壊しました。
食器はいつも割られてしまうので、必要な分だけ100円ショップで購入するようになっていました。
凄まじい暴力で居間は荒れ、一日中、片付けをしているような日もあったといいます。
嵐のような暴力を前に、両親は直樹君を怒らせないよう、腫れ物に触るように接してきました。
そして、どんなに理不尽だとわかっていても、彼の要求をすべて受け入れていったのです。
やがて要求はいっそうエスカレートし、暴力はますます歯止めがきかなくなりました。
直樹君は週に一度必ず、家族そろって車でスーパーマーケットに行き、雑誌コーナーで立ち読みをする習慣がありました。
その間、夫婦は買い物をするのです。
ある日のこと。
買い物に行く前に直樹君は、お母さんの頭をバリカンで刈り、頭のてっぺんだけを鶏冠(とさか)のように残したモヒカン頭にしてしまったのです。
それに加えて、片方の眉まで完全にそり落としてしまいました。
直樹君の母親は学校の先生です。教師というのは、終始、生徒や保護者に見られる仕事。
そんな人間にとって、身だしなみというのはとりわけ大切なものです。
そのお母さんの頭を、ロック歌手のようなモヒカン刈りにしてしまった。
そして、男性でも耐えられないような片眉にしてしまった。
お母さんは、どれほど恥ずかしく、屈辱的な思いをしたことでしょう。
直樹君の暴力は10年という時間をかけて、「身体的な暴力」から「心の暴力」へとだんだん移っていったのです。
もちろん、「殴る蹴る」はいつもありました。
それはそれで、絶えずある。
ただ直樹君の暴力が、たんに暴れるのではなく、次第に親の嫌がることをするようになっていったのです。
親が大切にしているものを壊す、親に恥ずかしい思いをさせる、親に理不尽な要求をして自由を奪って拘束する・・・・・。
結局、直樹君のお母さんは、モヒカン頭と片眉のまま、スーパーで買い物をさせられることになりました。
帽子を被ることなど、もちろん許されません。
「なぜ、これほどまでに辱められなくてはならないのか」
お母さんは耐えられなくなり、こっそりトイレに駆け込みました。
そして、隠し持っていた化粧道具で眉を描いて、カバンに忍ばせていた帽子を被りました。
そうやって、息子にみつからないよう、買い物を済ませたのです。
しかし、買い物が終わって車に戻る前に、帽子は元通りにしまったものの、眉を消すのを忘れてしまった。
それで、直樹君にバレてしまったのです。
「なぜ言うとおりにしなかったんだ!」
彼はその日、お母さんをいっそう激しく、いつまでも、いつまでも殴りつづけました。
「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」二神能基著 2007年1月26日刊行 より
このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。
認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。
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