話をよく聞くと、暴力の内容も凄まじいものが多い。
「そんなことを、実の親にできるのか?」
そう思ってしまうようなことが、平然と行われているのです。
先ほどのご夫婦の例でいうと、直樹君の暴力が始まったのは、ひきこもりを始めて、すぐのことだったといいます。
ひきこもる前は、母親に学校生活の愚痴をこぼしているだけでした。
それがひきこもり始めると、自分のいびつな頭の話を母親に向かって何度もするようになりました。
そしてある日、母親の髪の毛をわしづかみにすると床に頭を叩きつけ、その頭を、足で何度も強く踏みつけたのです。
そのようにして始まった暴力が、12年という時間をかけて、顔を何度も殴ってあごの骨を歪ませる、ろっ骨を折るという激しい暴力へじわじわとエスカレートしていきました。
そして最後には、冒頭に紹介した母親の頭をバリカンで二度、丸坊主にするまでになってしまったのです。
これだけではありません。ほかにも、凄まじいケースはたくさんあります。
寝ている父親の背中に、熱湯をかける。
母親に向かって、二階のベランダから植木鉢を投げ落とす。
父親の腕にタバコの火を押し付けて火傷をさせる。興奮すると、包丁を投げつける・・・・・。
本当に「そこまでやるのか?」というようなものが増えています。
私たちが「家庭内暴力」と聞いて想像するような、「殴る蹴る」ではおさまらない、歯止めのきかない家庭内暴力が増えている気がしてならないのです。
「もう殺されますから、今日すぐに息子を連れていってください」
泣きながら電話をしてくる母親も、決して珍しくはありません。
こうした親たちのSOSを聞いていると、「このままでは新聞の見出しを飾る事件になるかもしれない」と思うことがよくあります。そこまで行き着く前になんとかしたい―
しかし、この家庭内暴力の難しいところは、親は暴力を受けていても、すぐには助けを求めてこない、相談には来ない、ということです。
SOSを出す時には、事態はかなり煮詰まっていて、もうどうにもならないところまでいってしまっている。
本当に危なくなるまで、そのことを家族以外の人間に語りたがらないのです。
そして、事が明るみに出る頃には、時間が経ちすぎてしまっている。
状況も危機的なところまで悪化している。
そこに、この問題の難しさがあります。
「世間に知られるのが恥ずかしい」
「他人に相談したことが子供にバレたら、暴力がさらにひどくなる」
「こんなひどい暴力の子は、他人様には預けられない」
「こんなひどい暴力の子を、他人様が預かってくれるはずがない」
そう考えて「自分たちでなんとかするしかない」と、ぎりぎりまで我慢してしまう。
だからなかなか表沙汰にならないし、外から救いの手を差し伸べることもできないのです。
家庭内暴力とは、まさに家族という「密室」での暴力です。
それは、閉ざされた家の中で、家族だけがしじゅう向き合うほかないから、起こるものです。
しょっちゅう他人が出入りしたり、家族の問題をオープンにしているような家庭では、まず起こりません。
そんな家庭内暴力がいま、じわじわと増えている。
それはとりもなおさず、現代において「閉じた家族」が増えているということです。
密室化した家族の中で、若者たちのやり場のない苛立ちや不安、怒りや焦りが、爆発寸前の火山のマグマのように渦巻いている。
何年も前から指摘されつづけてきた「いい学校からいい会社へ。
そのためには、とりあえず勉強」というモノサシが一本しかない人生と「勝ち組教育」に走らざるを得ない社会の弊害が、どうしようもないところまで出てくる―それが家庭内暴力であり、最近相次いで起こっている若者による親殺し事件だと、私は見ています。
「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」二神能基著 2007年1月26日刊行 より
このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「暴力は親に向かう ~いま明かされる家庭内暴力の実態」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。
認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。
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